年度 | 音楽部門の歴史 |
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三善晃学長の就任
1974年4月1日、井口基成は勇退して名誉学長となり、三善晃学部長が学長事務取扱となって、その約半年後に学長に就任した。
桐朋学園オーケストラの国連デー参加と斎藤秀雄の逝去
桐朋学園オーケストラは、1974年10月の国連記念式典への参加という栄誉に与った。演奏曲目のひとつであるリヒャルト・シュトラウス《ドン・キホーテ》には、前年から徹底的な練習をもって臨んだ。
指揮は小澤征爾で、第37回定期演奏会のほか、国内での演奏旅行が積み重ねられた。かねてから病気療養中の斎藤秀雄は、病気をおして合宿に参加し、自ら指導を行った。また、1972年12月から1974年8月まで4回にわたって広島教室で音楽の講義を行い、その講義録は、小澤征爾、堤剛、前橋汀子、安田謙一郞、山崎伸子編『斎藤秀雄講義録』(白水社、1999年)として出版された。
9月18日、斎藤秀雄は臨終の床につき、9月27日、深い悲しみに包まれて青山葬儀所で学園葬が営まれた。創設者の死を悼む気持ちを抱いて、10月14日、オーケストラはアメリカに向けて出発した。
アメリカではまずエール大学で、桐朋で何人もの学生を指導したブローダス・アール教授とその夫人の安芸晶子が斎藤秀雄の追悼演奏会を準備し、小澤征爾指揮で演奏会が行われた。斎藤秀雄夫人はエール大学長から、斎藤秀雄の業績を記念したサンフォード賞とメダルを授与された。そして、10月24日、国連会議場でのコンサートに臨んだ。
10月25日から、ボストン、続いてワシントン(指揮:秋山和慶、会場:ケネディ・センター・コンサートホール)で演奏会が開催され、最後のニューヨーク・カーネギーホールでの演奏会では、斎藤秀雄の死を悼むとともに、急逝したダヴィッド・オイストラフを追悼するプログラムが組まれ、急遽、アイザック・スターンがオーケストラに加わるという、劇的な展開となった。

