年度 | 音楽部門の歴史 |
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1966年 |
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1967年 |
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1968年 |
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1969年 |
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欧米の教育視察と教育の刷新
欧米の最新の音楽教育を導入するべく、教員による欧米への教育視察が行われ、現地から講師を招いて学内で講演会がたびたび開催された。1968年8月にコダーイ研究所のフォライ・カタリンが来校した折にも講演会が開催されたが、それをきっかけに「子供のための音楽教室」の教育にコダーイ・システムの要素が取り入れられるようになった。その後も様々な教育システムが研究され、音楽教育に活かされていった。
マニラ・香港演奏旅行 (1968年3月)
1968年3月、外務省の派遣により、斎藤秀雄と入野義朗に引率されて、マニラと香港への演奏旅行が行われた。



オーケストラ合宿と北軽井沢ミュージックホール
オーケストラの夏期合宿は北軽井沢の旧長野原第三小学校で始まったが、蔵王(1957年)や猪苗代(1961年)でも行われ、また、1960年代からは志賀高原の発哺温泉や箱根仙石原などでも行われるようになった。1969年から1981年までの間は、父兄の中の篤志家が建設した「北軽井沢ミュージックホール」で夏期合宿が行われた。
教材の出版
音楽教育の基礎教材としてのソルフェージュ・聴音教本の出版は、当時の音楽教育界としては画期的なものであった。その後類書も増え、より新しい内容の教材開発が行われていった。初期に刊行されたソルフェージュ教本の中には、今日まで刷りを重ねているものもある。
また、『こどものための現代ピアノ曲集1・2巻』 桐朋学園子供のための音楽教室編集(春秋社、1969)、『初見奏のためのピアノ曲集』 桐朋学園音楽科編(全音楽譜出版、1978)、『ピアノ初見奏課題集:音高から音大まで』 桐朋学園音楽科編(全音楽譜出版、1990)ほか様々な曲集も刊行されて、音楽教育の裾野を広げる役割を果たした。
調布寮の完成 (1970年3月)
1966年度末に、女子部門との共同出資で、八王子市柚木地区に校地を取得した。続いて1968年3月に、音楽部門は調布市調布ヶ丘に新女子寮用地を取得した。そして、1970年3月に鉄筋4階(一部5階)建ての調布寮が完成した。自室で練習することができる、当時としては画期的な寮であった。(調布寮は2012年3月に閉鎖-写真は閉鎖時に撮影したもの)
音楽教室20周年記念事業
1968年に「子供のための音楽教室」は創設20周年を迎えた。
1969年の11月10日、日比谷三井ビルのホールで、鈴木乃婦子、東京家政学院元理事長の田代穣とその令嬢泰子(最初期に事務を担当)、中島健蔵、創設当初に関わった教員や保護者を招待して、記念式典が行われ、『20周年記念誌』が刊行された。

桐朋弦楽四重奏団と室内楽教育
オーケストラ教育と並んで室内楽の教育も早くから行われていたが、1964年6月、桐朋弦楽四重奏団の演奏会が東京文化会館小ホールで行われた。メンバーは、梅津南美子、今井信子、深井碩章、安田謙一郎で、「桐朋」を冠したこの四重奏団は斎藤秀雄が人選を行い、優れた教育の成果を披露した。
続いて、新しいメンバーによる第2代桐朋弦楽四重奏団が結成された。新メンバーは、永富美和子、辰巳明子、小栗まち絵、藤原真理で、このグループは、1968年3月に外務省の派遣でマニラ、香港に演奏旅行を行った。その後はこの名称は用いられず、重本佳美、高木康子、河津偕子、山崎伸子による新しいグループは、「ベラ四重奏団」を名のった。
初のヨーロッパ演奏旅行 (1970年9月26日~11月30日)
1970年9月、江戸英雄理事長の尽力と、国際交流基金の援助や、後援会、経済団体連合会の企業各社からの寄付などを得て、弦楽合奏団の初のヨーロッパ演奏旅行が実現した。この実現のため、前年から徹底した練習が積み上げられて、出発直前の8月には北軽井沢で2週間に及ぶ合宿を行った。その直後から、軽井沢、上田、信州中野、広島、福山、徳山、岡山、そして東京の虎ノ門ホールで演奏会を開催して舞台経験を積んだ。9月26日にまずモスクワに向けて出発し、帰国は11月30日で、実に66日間に及ぶ大演奏旅行であった。一連の演奏会の指揮者は、斎藤秀雄、秋山和慶、小泉紘、尾高忠明、井上道義が務めた。
