年度 | 音楽部門の歴史 |
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短期大学の卒業生を何度か送り出して、短期大学2年間の教育では不十分であるとの認識が深まり、4年制大学への転換が構想された。「PTA」と財界人などによる「後援会」が組織され、募金活動と並行して新校舎建設の計画が進められた。
1960年9月に大学設置認可申請書を文部省に提出する運びとなり、PTA会長の江戸英雄、井口学長、生江理事、入野理事らが奔走して、翌年5月にようやく開学にこぎつけた。
桐朋学園大学開学と新校舎建設 (1961年)
1961年、桐朋学園大学が認可され、最初の入学式が行われた。その際、短期大学から4年制に進学した学生は3年次に編入する措置が採られた。大学の設置認可申請と並行して、1960年8月29日に着工した新校舎の建設は、大学の開学に合わせて翌1961年4月13日に竣工し、5月10日に開学式典が行われた。
斬新な鉄筋新校舎の完成は、教育の大きな励みとなった。この新校舎は当時としてはまだ珍しい冷暖房設備を備えたもので、それは市街化が進む仙川地区にあって騒音問題に先手を打つものでもあった。
第13回オーケストラ定期演奏会 (1962年3月22日:厚生年金会館)
本格的な2管編成のオーケストラにより、ブラームスの交響曲第1番が斎藤秀雄の指揮で演奏された。ヴァイオリンには安芸晶子、原田幸一郎、梅津南美子、ヴィオラには今井信子、その後指揮者に転じた黒岩英臣ら、チェロには勝田聡一、徳永兼一郎、ホルンにはその後指揮者として活躍する秋山和慶、飯守泰次郎らの顔が見える。
新校舎第2期完成 (1964年)
1961年竣工の新校舎に続いて、第2期の校舎建設が進められ、1964年4月、鉄筋の新校舎が落成した。旧木造校舎をすべて取り壊しての工事で、ここにようやく大学にふさわしい施設が整った。
この年、女子部門の経営する別の短期大学が新たに開設され、「桐朋学園大学短期大学部」の名称でスタートした。5月10日、新校舎落成および女子部門短期大学部開設の記念式典が行われた。
弦楽合奏団の渡米 初の海外遠征 (1964年7月)
本学が、とりわけオーケストラやアンサンブル教育の面で達成してきた目覚ましい成果は、海外にも知られるようになった。その結果、1964年7月、アメリカのリンカーン・センターでの「日本週間」に招かれ、桐朋弦楽合奏団として一行73名が渡米した。渡米に先立ち、斎藤秀雄が視察を行い、学内に渡米促進委員会が設置された。
5月10日の新校舎落成式典の際には、渡米実現を祝しての記念演奏会が開かれたのを始め、6月6日にはNHKテレビに出演し、さらに6月10日に厚生年金会館、6月15日に東京文化会館でそれぞれ演奏会を開催した。こうした演奏会が評価されて「第6回毎日芸術大賞」受賞の栄に浴するなど、内外の高い評価を得た。
7月7日に羽田空港を出発した一行は、9日にロスアンジェルスのカリフォルニア大学にて最初の演奏会を開催し、また、交流の時を過ごした。10日にニューヨークに入り、郊外のスタンフォードでの練習を経て、13日から18日まで、リンカーン・センターで演奏会を開催した。アメリカでの評価は、日本国内でも大きく報じられた。
一連の演奏会の終了後には、タングルウッドのサマースクールとノーフォークのエール大学音楽キャンプに参加し、さらに23日にサンフランシスコ、25日にホノルルで演奏会を行い、7月27日に帰国した。
演奏会の指揮は、斎藤秀雄のほか、すでにアメリカで指揮者活動を始めていた小澤征爾(現地参加)、秋山和慶、黒岩英臣、飯守泰次郎、久山恵子、竹前聡子があたり、邦人作品(小山清茂、小倉朗、諸井誠)を含む4つのプログラムを分担し演奏した。
